今年も福寿草が・・
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亡き越地吹雪さんの得意な曲愛の賛歌テレビでピアフの生涯を見た。凄い鬼気迫る、最後の愛の賛歌越地さんがフランスでこれを聞いてこれしかないと感じ生涯の持ち歌とした、何かで読んだ気がするが、本物の歌には色々な思いがこめられているんだなーとつくづく思い知らされた。歌手として最高の時は? 答え幕が上がる時
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去年の暮れに町屋レンガ銀杏祭の時に皆様には中々聞くことが出来ない、日本古来の楽器演奏 、笙、篳篥(ヒチリキ)横笛など楽しめました。もっと本物の曲を何曲も聴きたかったと思いました。演奏者は稲葉明徳さんと言います。宮内庁のTVでおなじみの東儀さんに縁もあるようで、彼から楽しかったのでまたやりましょうとメールがきました。
そこで懐かしい人を思い出しました。先ず私は1960年当時はテナーを吹いてました。
当時先輩に東儀五郎さんと峠五郎さんいう人がいました、二人ともとてもお酒が好きな方で、東儀さんは身内が宮内庁の雅楽の方と聞いてますが、その後何回かセッションしましたが、付き合いがありませんでした。また多忠修さんは平安時代から続く雅楽の家に生まれ育った方でテナーサキソホンで。1949頃からゲイスターズという日本を代表するバンドを率いていたバンドマスター、多さんには大変お世話になり晩年は日劇オーケストラの指揮者でしたので時々伺ってお話しをしました。今もお元気かどうかは解りませんが、お二人とも戦後のジャズ史に名を残した方です。
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NHKの紅白で森進一君のおおふくろさんが話題になり、その後テレビで彼の生い立ちなど取り上げられ私も懐かしく当時を思い出しました。私が知っているのは、チャリー石黒と東京パンチョス時代、その頃私はバンドのコンサートマスターだったと思います。新橋のビルでのど自慢コンテストを二週分づつ録画する仕事の時チャーリーさんも審査員として関わっていたと思います。その時5人抜きくらいの番組でしたが、その声にほれてチャンピオンに仕立てたのを覚えています。その後チャーリーさんが引き取り、住み込みバンドボーイとしてスタートしました。
その後チャさんの運転手をしていた工藤君が作詞、某女性歌手の旦那さんテレビ局のデレクター、チャリーさん作曲(城美好)盛り場ブルース、を自主制作当時ビクタースタジオで7人くらいでレコーディング私はそこでテナー吹いてます。そのレコードで森君はタスキをかけて地方周りをバンドの根拠地赤坂ゴールデン月世界をスタートしたのを思い出します。その後は皆様のご存知のとうり、チャーリーさんは歌もトランペット、ヴィブラホーンも得意で当時レイチャールスが売り出した頃の物真似も得意でした、レコードにも何曲かのこっています。森君のレッスンにもその影響はかなりあったと見てます。彼は1984年12/14に亡くなっています。まえ5年くらい歌のレッスン教室を開いていて新人を育てていました。実は私の娘今年50歳ですが、当時ピアノ、歌は教室に行ってました。
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親ばかできょうしくですが、大学生の孫娘がピアノ弾いてます、最近ジャズに興味を持ってきてなにやらあちこちで弾いてるらしく参考にと思い、CDの色々ある中でピーターソンのライブ、ロンドンハウス、他カウントべーシー、パリコンサート、エロールガーナー、ライブ、ビルエバンス、スタンゲッツのcoolvelet、また私の好きなサンボーンのBobJamesとの共演、2008here&goneなどを新年のプレゼントにした。これはあくまでもコレクションの中の私好みです。中でもガーナーは亡き世良譲さん得意としていたスタイル貴重な一枚ゲッツもテイク1.2と興味あるものと思います。この前の小曽根真さんのビートの練習に参考になればと思いました。
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